健全な競争は必要だが、スピード競争である必要はない。

私の娘はアメリカ生まれのアメリカ育ちの日系2世(つまり娘が生まれて、企業駐在で来て永住権保有者になった私たち親は日系1世の移民になった)で、9歳になる今でも日本語のほうが得意。それは、本人と親が二人三脚で続けてきている日本語教育の成果です。生活言語は家庭内は全て日本語。学習言語としての日本語習得のために、週に2日、3時間の私立の補習校に通っている。
今は、夏休み中なので、2週間、8時半から3時半(金曜は午前のみ)の集中登校日。22名が机を並べて、先生が前に立って行われる一斉授業で、教科書もカリキュラムも文部科学省の学習指導要領に沿っている。日本国籍所有者には教科書は無料で支給される。まあ、普通の日本の学校だ。

1週間の集中授業が終わって、娘が、不満を言い出した。よく聞くと、授業のやり方が好きじゃないそうだ。

先生が質問する。
出来た子が手を挙げる。時には、答えを言ってしまう。
その時点で娘はまだ答えが分かっていない(計算に時間がかかっている)。
焦る。
焦るから、いつもはさっとできるのに、時間がかかる。
不満が募る。

何が嫌かと言って、

早く答えを出さなければというプレッシャー
自分は人より遅いという劣等感
ようやく答えにたどり着いても、後からてを上げては指名してもらえない
答えるチャンスをもらえないから、褒めてもらえない
褒めてもらえないのでモチベーションが保てない

こういう状態が、延々と続くのが耐えられないそうだ。

ああ、これが日本の教育=スピード重視の競争社会が、どんな風に子供の心に影響を与え、子供がどんなふうに感じ、結果として人間性を否定されていくプロセスなのね、と教えられた。

もしも、娘が通っているアメリカン学校も、同じようにスピード重視、発達競争だったら、彼女は日本語学校のやり方に疑問を抱かなかっただろう。現に、多くの同級生はそうだ。
だが、娘が通っている現地校は、公立だけどオルタナティブ教育を、40年間実践してきた学校だ。

彼女曰く、こちらには別のルールがある、私はそっちのほうが好きだ、と。

答えが分かっても、先生が当てるまでは口走ってはいけない。
答えを口走ると、「答えるとは言ってない」と注意される。
つまり、早く答えられることより、ルールを理解しているか、ルールを守れているかが重要なのだ。

「君が答えを口走ってしまうと、答えを考えている他の子から、考えるチャンスを奪うのだから、それはフェアではない」と釘を刺される。

答えがわかった子が、先走って「ハイハイ」と大げさに手を揚げることも嫌われる。
他の子が考えるのの邪魔になるから。

この学校には、「考える力をつける」というフィロソフィーがある。
答えは自分で考える。
全ての子供に考える時間を与える。
スピードを競う場ではない。


話し合いの場合も同じだ。
現地校では、誰かが発言している時に手を上げて、次は自分が話したいとアピールすることも、止めるように指導される。
手を上げている間は、自分が何を話そうか考えてしまうので、発言している子の話を聞くことができないからだ。
まずは人の話を聞き、聞いてからもう一度考えるプロセスを持つように、教えている。
そこには、教師の、考える力の基礎になるのは、聞く力だという認識がある。

学ぶというのは、競争ではない。
そこのところが、理屈では分かっていても、フィロソフィーがしっかりしていて、しかも先生がメソッドを身につけていないと、早くできる子や声の大きい子に引きずられるように授業が展開してしまう。

先生の実力次第で、学ぶ環境の良し悪しが左右されるのは、お粗末だ。
1人1人の子供の実力を伸ばすためには、先生が実際に使えるメソッドを学ぶべきだし、それを学校全体で共有するには、リダーシップが必要だ。


娘に、君の不満は分かった。100%教師のアテンションをもらって学びたいなら、家庭教師を雇ってマンツーマンで教わるという方法もあるよと提案したら、それは興味ないと答えた。
他の子に比べて、自分がよくできるという気分も味わいたいらしい。
いつも思うのだが、子供は大人が考える以上に賢い。
ちゃんと必要なものが分かっている。

つまり、子供にとって健全な競争は必要だが、スピード競争である必要はないのだ。

結局、現地校は学びの場、日本語学校は、ゲームの場。
ゲームなんだから、ルールを覚えて、参戦し、勝ったり負けたりを楽しむようにと結論づけた。

ポケモンと一緒で、経験値を上げれば強いジムリーダーも倒せるようになる。
漢字を勉強したり、ドリルをやるのは、野原で野生のポケモンと戦って経験値を手に入れるのと一緒なんだよと。
努力すれば強くなれる。
「でも、相手も努力したら、もっと強くなるでしょ」
そりゃそうだ。そうやって、いっしょに努力しあって、2人とも100点とれるようにがんばるのが、ライバルって関係なんだよ。
勝ち負けではなくて、勝ったり負けたりしながら、皆が賢くなるのが目的なんだよと。