冬休みに入る2週間ほど前に、娘とアメリカの1%対99%問題について話した。


話の初まりは、「早く雪が降らないかなあ」という娘のつぶやきだった。 カリフォルニアでは車で3時間以上かけて山に行かないと雪遊びができなかったからね。ワシントン州に越して来て、家の庭で雪遊びができるぞ、と楽しみにしているのだ。

<学校が休みになると、お腹が空いても我慢しなければならない>

雪がたくさん降って車の走行が危険になると、学校が休みになる。その場合の児童の引渡しについての説明が学校であったから、彼女の期待が高まったのだった。 その喜びに水を差すように、私が「でもね、学校が午前中で終わると、学校でお昼ご飯が食べられないから悲しいと思う子供もいるのよ」と言ったら、「なんで?家で好きなものが食べられるじゃない」と答えが返ってきた。 「学校のカフェで無料のランチを食べている子供の中には、家に帰っても食べるものがないうちもあるらしいよ。」と、新聞で読んだことを教えたら、娘だけでなく連れ合いまでも、「信じられない。」という顔をした。

National School Lunch Programは、低所得家庭の児童が学校給食を無料または割引価格で食べられるように、連邦政府が補助金をくれる仕組みだ。 学校評価サイトの資料によると、娘が通っている小学校では9%の生徒が、このプログラムを利用している。日本の学校給食の補助金制度について知識がないので、補助を受けている生徒が1割居るという数字が、日本に比べて多いのか少ないのか分からない。日本人から見たら、「1割も居るとは多いなあ」と感じるだろうか。

しかし、アメリカの現実と比較すると、9%は圧倒的に「少ない」ほうだ。私たちが住んでいる学校区は、マイクロソフトなどハイテク企業の社員が多く、シアトル周辺区域の中では経済的に恵まれている家庭が多い。カリフォルニアで通っていたクパチーノ学校区もハイテク企業社員が多く、学校給食プログラムの受給生徒は5%だった。ワシントン州全体の平均42%、カリフォルニア州の平均52%に比べたら、圧倒的に少ないのだ。

だからうちの家族が、「学校が休みになると、お腹を空かす子供が居る」という話に実感がわかないのも無理もない。

<豆の缶詰をもらうよりフードスタンプの方が、フードスタンプをもらうよりお金を稼ぐ方がいい>

そこで、最近、雑誌で読んだ記事の話をした。シアトル日本語補習校が校舎を使わせてもらっている高校の場合、3割が学校給食プログラムの利用者だ。ここ最近の不景気で、家賃を払うために食費を削らなければならず、無料の学校給食が食べられない週末には、子供に満足な食事を与えられない家庭もあるそうだ。 その記事では、そういう生徒のために金曜日に缶詰などの食品を配布している市民グループの活動が紹介されていた。

家賃が払えなければホームレスになるしかない。家賃と食費を天秤にかけなければならない貧困が、すぐ身近にあるという話は、娘にはショックだったようだ。「 豆スープの缶詰がもらえると、親が喜ぶと書いてあったよ」と言ったら、「毎週豆スープでは嫌だろうねえ。好きなものが買える券をあげれば、もっといいのにね」と言う。

そこで、フードスタンプの存在を教えてあげた。フードスタンプは、スーパーやファーマーズマーケットで食品購入にだけ使える金券である。連邦政府の制度だが、州政府や自治体が窓口になって実施している(今は名称がフードスタンプから変わったようだ。)。 フードスタンプなら、豆の嫌いな子は、チキンスープの缶詰を買うことができる。娘には、私たちが納めた税金を、フードスタンプとして政府が貧しい人にあげているものだと説明した。

すると彼女は、 「確かにフードスタンプは直接、豆の缶詰をもらうより良いかもしれない。 でも、もっと良いのは、フードスタンプより現金だ。お金だったら、今日は特別な日だから、チキンスープじゃなくて鶏のから揚げを作って、代わりに明日からは節約しようとか、豆スープで我慢しておいてクリスマスプレゼントを買おうとか、自分でお金の使い道を決めることができる。なぜ、現金がもらえないのだろう?」 と突っ込んできた。

私は「働かないで、現金をもらうのは、フェアだと思う?」と、聞いてみた。そしたら、「とんでもない!」と返してきた。 「働いてお金を稼いで、好きなことに使えばいいんだよ」と。 彼女の言うとおりだ。 誰だって、働いてお金を稼いで、そのお金の使い道を自分で決められる方が、良いに決まっている。 では、なぜ、貧しい人たちは、お金がないのだろう? それは仕事がないからだ。仕事があっても、十分なお金がもらえないからだ。

<景気が悪いと、貧乏人が増えてくる。>

私は、彼女の前に、箸置きとお皿と湯飲みを置いた。 箸置きが大金持ち、湯飲みが貧乏人、お皿が真ん中のどちらでもない人たちの居るところだ。 世の中は公平じゃないから、お金持ちと貧乏人と真ん中が居るのは、仕方がないことだ。 ほんの少しの大金持ちと、ある程度の貧乏人が居て、大抵の人はこの真ん中のお皿に乗っている。お皿の上の人数がいちばん多い。

今、世の中はどういう状態かと言うと、大金持ちのところにばかりお金がたくさんあって、貧乏な人のところには少ししかない。そして、真ん中のところにあったお金は、昔に比べて減っている。

もしもこのお皿の上にお金がたくさんあったら、真ん中の人たちが大勢、近所のスーパーに買い物に行く。たくさんのお客さんが来ると、スーパーは忙しくなるから、店員を雇う。湯飲みの上の貧乏な人も、スーパーで働いて、お金を稼ぐことができるようになる。 でも、大金持ちがたくさんお金を持っていて、スーパーに買い物に行っても、お客の数は増えないから店員はたくさん必要じゃない。今まで居た店員で十分足りるから、貧乏な人まで雇う必要がない。つまり、 お金が偏ったところにあると、仕事の数が減るんだよ。

20年位前は、お皿の上にもお金が十分にあった。働いて稼いだお金で、家賃を払ってご飯を食べて洋服を買っても、まだ余った。その余ったお金で、多くの人がディズニーランドに行った。たくさんお客さんが来ると、トイレが汚れる。だから、トイレ掃除の人を雇う。たくさんのお客さんがアイスクリームを食べたがるから、アイスクリーム売りの人を雇う。ディズニーランドのトイレ掃除やアイスクリーム売りの仕事をして、お金を稼ぐことができた人は、湯飲みからお皿の上に移った。

ところが、だんだんお皿の上のお金が減ってきた。1人当たりの取り分が減ってしまった。そのうえ、家賃も食費も洋服代も値上がりした。働いてお金を稼いでも、ディズニーランドに行けなくなった。お客さんの数が減ったから、ディズニーランドのトイレもそんなに汚れなくなった。そこで、トイレ掃除の回数を減らすことにした。仕事が減ったぶん、トイレ掃除の人に払う給料も少なくした。 アイスクリーム売りの数も減らしたので、仕事がない人ができた。その人たちに新しい仕事は見つからなかった。

こういう状態を、景気が悪いと言う。

仕事の数が減ったり、お給料の額が減ったりすると、真ん中のお皿が小さくなって、貧乏人の乗っている湯飲みに移動する人たちが増えてくる。

<不公平はどうすれば直る?>

世の中全体を見たら、箸置きに乗っている人は1%もいない。残りの99%の人は、お皿か湯飲みに乗っている。この割合は、昔から変わらない。無駄遣いばかりして箸置きから落ちる人はいるけど、お皿から箸置きに移動できる人はそんなにいない。

それでも、お金が極端に偏って箸置きにだけ集まらなければ、そんなに景気は悪くならない。 だから、これまでは、税金の仕組みを上手に使って、箸置きにお金が集中しないように工夫してきた。

税金とは、皆で少しづつお金を出し合って、道路や学校に使うものだ。給食の補助金やフードスタンプも、税金として集めたお金を使っている。もしも、持っているお金の額に関係なく、全員30%の税金を払わなければいけないとしよう。 100万円持っている人は30万円の税金を払って、1万円持っている人は3000円の税金を払うことになる。政府に入る税金は30万3000円だ。それぞれ、税金を払ったら手元に70万円と7000円ずつ残る。

でも、政府が30万3000円の税金を集めるのが目標なら、100万円持っている人から30万2000円もらって、1万円持っている人からは1000円だけもらうのでも、良いはずだ。100万円持っている人が30.2%の税金を払い、1万円持っている人が10%の税金を払うと、30万3000円になる。

30.2%と10%を比べたら、お金持ちはすごくたくさん税金を払っているような、不公平な感じがするかもしれない。 でも、手元に残った金額を見たら、お金持ちは69万8000円、貧乏人は9000円。 お金持ちの持っているお金が、ものすごく減った感じはしない。 100万円持っている人にとっては、2000円減っても大したことはないかもしれないが、1万円しかない人にとって2000円の差は大きい。200円の豆のスープを10個多く買うことができるからだ。週末に学校給食がなくても、お腹を空かさないで済む。

20年位前までは、そうやって世の中のお金の偏りを直そうとしてきたし、お金持ちも納得していた。でも、だんだんとお金持ちが、たくさん税金をとられるのは嫌だからと外国に引っ越したり、税金の仕組みを変えてしまった。そうして、気が付いたら、箸置きの人たちだけで、世の中のお金の90%近くを持っているようになってしまった。

このままだと、お皿の上のお金は全く増えないばかりか、もっと減ってしまうかもしれない。それは、良くないよね。 それに気が付いた人の多くが、どうにかしようよと言い出している。 現実は、気が付き始めた人が居るって、ところで2012年も終わろうとしている。でも、子供には、未来が必要だ。だから、私は、「それが上手くいけば、20年後には今より良くなると思うよ。」と付け加えておいた。