NHKスペシャル「シリーズ東日本大震災 空白の初期被ばく〜消えたヨウ素131を追う〜」を見ました。

どれだけのヨウ素を取り込んで、どれだけの被曝をしたのかについては、結論が出ていないというのが、私の感想です。
ヨウ素量計算の比較となったWBCで計測されたセシウムのうち、食物による体内摂取をどう評価しているか、放出量のヨウ素対セシウム比の実際はどうだったのか、という点には異論があると思います。
(番組の評価は多すぎるという意見と、少なすぎるという意見(こちらのコメント欄)を参照にどうぞ)

私がいちばん注目したのは、初期のヨウ素放出は、セシウムの流れた時間とルートと違うことが分かったという点。ヨウ素は、もちろん飯館村方面にも流れているが、沿岸部にも流れた。北は南相馬市、南はいわき市。南相馬市では、同じ市内でも比較的セシウム汚染が軽度な沿岸部が、実はヨウ素汚染があったことが分かった。いわき市を高濃度で直撃したヨウ素プルームは、茨城栃木を通り駿河湾まで及んでいる。3月下旬までいわき市の線量が高かったという証言がある。

チェルノブイリ事故で甲状腺ガンが増えた原因の1つに、あの地域の食生活ではヨウ素を摂取する量が少なく、放射性ヨウ素を取り込みやすかったことが指摘されている。なので、福島事故直後も、「海草を日常的に食べている日本人は、ヨウ素が足りているから被害はチェルノブイリより軽度で済むのではないか」と思っていた。

しかし、今の日本人の食生活の実態を知るにつれ、ヨウ素が足りているのは昭和の食生活を維持している人だけで、「普通のご飯」を食べている人はヨウ素が足りないんじゃないかと思うようになった。
例えば味噌汁。こぶで出汁をとっていればヨウ素が摂取できるが、ホンダシを使っていたらヨウ素は摂取できない。ホンダシにはヨウ素は含まれていないのだ。

また事故直後は、目に見えない味もしないヨウ素が、あそこまで濃厚に空気中に存在していることを知らなかった。上記にリンクしたページのいわき市の例でも分かるように、数ヶ月で放射線量が下がった地域は、3月4月の間はかなりのヨウ素が大気中にあったことが分かる。5月ごろまでほうれん草からヨウ素が出ていた地域も、同じだ。マスクもしないで日常生活を行っていた人は、ヨウ素を吸引し内部被曝している。

その時、甲状腺に取り込まれた放射性ヨウ素の量は、2011年3月15日までにどんな食事をしてきたかで違うだろう。農漁村地域で伝統的な食生活をしてきた人の方が、都市部で今の「普通のご飯」を食べてきた人より、被害は少ないのではないか。
しかし、3月4月は、震災直後の物資が届かなかった頃でもある。避難先での食生活は栄養が十分とは言えなかった。ヨウ素の不足する食事を続けると、何日ぐらいで甲状腺のヨウ素も不足するのか、私には知識がない。しかし、農漁村地域で伝統的な食事をしてきた人の体も、避難中の食生活のせいでヨウ素を取り込みやすくなってしまっていた可能性は高い。

私は、3月12日には友人へ避難を呼びかけていた。決心して関西方面へ避難した友人たちが、ヨウ素濃度の濃い日時に避難のために戸外にいたことを思うと、本当に申し訳ないと思う。首都圏のセシウムマップでは汚染が低いとされる地域でも、給水や食料の買出しのために長時間戸外に居た人々はヨウ素によって被曝している。そうはっきりと言う決心ができるまで、2年もかかったことも、申し訳ないと思う。もしも、番組の放送がなかったら、曖昧な態度を続けていただろう。

この番組が伝えていないことをあげつらうより、視聴者が多い時間帯に、ヨウ素による初期被曝があることを伝えたことを評価したい。
原発事故以前の自分の食生活を振り返り、原発事故以降の行動記録をつけ、避難や保養も含めた生活改善を実践して欲しい。

私たちは生き残らなければならない。それも、ただ生きながらえるのではなく、生き生きと生を全うしなければいけない。諦めや自己憐憫やうらみつらみにかまけるのではなく、事実を見据え、恐怖を引き受け、友人と笑い歌い励ましあいながら、幸せを実感しながら。