『アメリカの毒を食らう人たち:自閉症、先天異常、乳癌がなぜ急増しているのか』ロレッタ・シュワルツ=ノーベル・著、東出顕子・訳、東洋経済新報社、2008年

Poisoned Nation: Pollution, Greed, and The Rise of Deadly Epidemmics, Loretta Schwartz-Nobel, 2007, St. Martin's Press

http://www.lorettaschwartznobel.com/index.php

ロレッタは、70年代初めにアメリカ国内の飢餓に最初に警鐘を鳴らしたジャーナリスト。これまでも、貧しい者、システムの犠牲になっている者の声を届けてきた調査報道のベテランだ。
そ の彼女が4年の歳月をかけて取材・執筆した本書は、食品、飲料水、大気、生活用品の汚染がいかにアメリカ人の命を脅かしてきたか、防げるはずの汚染を利益 のために放置してきた企業とそれを許してきた政府の作り上げたシステムの実態、病気を引き起こす製品を提供する一方で、病気の検査と治療で儲けを得ている 企業体の存在を、次から次へと暴いていく。

正直言って、読まなければ良かった、知りたくなかったと思ったほど、この国は病んでいることを思い知らされた。あらゆる面で病んでいる。環境は汚染され病ん でいる。そこに暮らす国民は病気になっている。そして、国民を犠牲にしても企業の利益を優先する社会システムが病んでいる。

し かし、この本は声高な告発の書ではない。普通の町に住む、普通のアメリカ人の、善良な人生と、彼らが経験している尋常ではない苦しみが、彼らの声で語られ ている。普通の暮らしって何だろう?21世紀の普通の暮らしは、もう幸福な暮らしとは呼べなくなってしまったのだろうかと、思わざるを得ない。

物語は、ペンシルバニア州フィラデルフィアの大都市の公害から遠く離れた、ノースカロライナ州海岸部の田舎町に彼女が引っ越してきたことから始まる。自然豊かな環境は、しかし、目に見えない物質で汚染されていたのだ。

彼 女の住む町から10マイルも離れていないキャンプ・ルジューン海兵隊基地の地下水は、1950年代から基地内に投棄された化学兵器の開発に使われた化学物 質によって汚染されており、高濃度の塩素化炭化水素で汚染された井戸水を生活用水に使ってきた海兵隊員とその家族を病気にした。癌、免疫不全、喘息、アレ ルギー、偏頭痛。海兵隊員の妻たちが、体の痛みを我慢し吐きながら育てた子供たちも、繰り返す感染症で聴力を失ったり、生まれつき食道や胃腸に潰瘍があっ たり、アレルギーや免疫不全、白血病で死んでいる。
1968年から85年までにこの基地に居住し妊娠した女性を対象にした調査では、33例の神経管欠損、41例の口唇・口蓋裂、7例の小児リンパ腫、22例の小児白血病が報告されている。22例の白血病は通常の発生率の16倍だそうだ。

ア メリカには、極度に汚染された土地を、汚染責任者を特定するまでの間、米国環境保護庁が公的信託基金(ス−パーファンド)からの費用を用いて、調査・浄化 するという法律がある。このスーパーファンド法が優先浄化区域にしている汚染地帯のうち、140箇所が軍事施設だ。この140箇所の1マイル以内に住んで いるアメリカ人1100万人は、白血病などに罹るリスクが高い。

しかし、恐ろしいのは、白血病の集中発生が見られても、疾病対策センターの調査結果は、癌と環境の間に関連性はないと結論することだ。ネバダ州ファロンの子 供たちは急性リンパ性白血病にかかる率が同州の他の地域と比較して100倍高い。ファロン航空基地にはジェット燃料に汚染された有害廃棄物処分場が16箇 所もある。エネルギー省が同基地で行った地下核実験で放出された放射性物質が31箇所の飲料用井戸水から高濃度に検出されている。それでも、毒物・疾病登 録局が発行した最終報告書には、「過去、現在、未来において、環境中に存在するファロン海軍航空基地の物質に暴露することによる住民の健康危機はない」と 書かれている。
初めから結論ありきの調査なのだろう。

本書を読み進めていくと、この手の政府の調査、専門家の意見、科学的な実験結果が、病気で苦しんでいる人々の声を踏みにじっていることが何度も出てくる。同 じ人々が同じ相手に苦しめられているのではない。別の土地で、別の原因物質で、別の軍事産業や医薬品会社や軍によって汚染された環境の調査報告を、別の政 府組織や団体が行って、「関連性はありません」「安全です」「責任はありません」という結論を出す。そういう欺瞞に満ちたシステムが出来上がっているの だ。

どこかで見た構図だ。原発からもれる放射性物質が原因で住民に健康被害が出ても、関連性を認めない連中は、この「毒にまみれたアメリカ」というシステムの一部なのだ。

ロ ケット燃料や火薬に使われている有害化学物質、過塩素酸塩は、甲状腺癌をはじめあらゆる甲状腺に関係する症状と関連があるとされている。それが、35州の 飲料水から検出されているのだ。地下水脈にもれ出た過塩素酸塩は、既に2000万人の水源となるコロラド川、400万人に水を供給しているリオグランデ川 を汚染している。環境保護局、国防総省、防衛産業が「安全基準」をめぐって「いわゆる科学的な議論」を長い間戦わせている間中、何の規制もなく垂れ流され てきたのだ。

「関係者の誰ひとりとして過塩素酸塩の毒性を否定はしない。人体の健康に害のない許容量をめぐって議論を戦わせてさえいれば、過塩素酸塩は規制のない汚染物質 として存続できる。何ら対策を講じる必要もなく、もたらされる莫大な利益が減ることもない。そのことを関係者全員が知っていたのだ。」(p.71)
「安全基準」について議論をしている間に時間はどんどん過ぎていく。住民の健康被害は広がっていくが、責任者は賠償しなくて済む。そのうち、住民は死に、因果関係は究明されない。
東京電力福島原発事故のことを話しているのかと錯覚しそうなくらい、状況は同じだ。

過塩素酸塩の「安全基準」を決めるのに、システムがどう動いたか、本書を読んでみよう。
2002 年環境保護局が過塩素酸塩の濃度1ppbと提言したが、国防総省と防衛産業大手数社は200ppbにすべきだと主張した。カリフォルニア州では、 2〜6ppbにしようとする方針が、ロッキード・マーチン社とカーマギー社の圧力で妨げられていた。ネバダ州にあるカーマギー社の過塩素酸塩アンモニウム 工場がコロラド川水源の汚染プルームの発生源だ。
2005 年、全米科学アカデミーが過塩素酸塩の安全濃度は、環境保護局提言の1ppbの23倍だと発表した。NPO天然資源保護協会は情報公開法を使って機密情報 を入手し、ホワイトハウス、国防総省、防衛産業による全米科学アカデミーへの圧力があったと発表したが、アカデミーは否定した。
国防総省は、環境保護局の過塩素酸塩規制の努力を10年以上も妨害していた。なぜなら、アカデミーの緩い基準を採用すれば、国防総省は巨額の浄化費用を負担しなくて済むからだ。
2005年4月環境保護局は何の公式コメントも出さないまま、ホームページ上の安全濃度を24ppbに書き換えていた。

水の汚染について調査したロレッタは、カリフォルニア州ランチョコルドヴァにおけるエアロジェット社による過塩素酸塩汚染と、同州モーガンヒルにおけるオー リン社による過塩素酸塩汚染の被害者たちにインタビューしている。汚染は飲料水だけでなく、牛乳、野菜、母乳からも過塩素酸塩は検知されている。食品から 発見されるのは、過塩素酸塩だけではない。野菜からは臭化メチルなどの毒性の強い農薬が、マグロからは水銀が発見されている。水銀は、大気中や予防接種の ワクチンからも発見されている。製薬会社がワクチンの製造コストを下げるために水銀を添加しているからだ。
ここでも全米科学アカデミーは予防接種中の水銀と自閉症の関連性を否定している。

本書における、腐敗しているシステムの検証は、癌産業、タバコ産業による肺癌の世界的流行へと続いていく。ただロレッタは、システムがいかに強固で巨大で あっても、諦めるなと訴え、個人でできる防御策を提案している。20世紀の規範に照らせば、それはジャーナリストの立場を踏み越えた行為かもしれないが、 単に事実を伝えるだけでは、この強固なシステムの補完者か、絶望を振りまく加害者にしかならないことは、既に分かりきっている。システムに対抗する手段に ついて指し示すことが、21世紀のジャーナリストの仕事ではないだろうか。旗色を鮮明にすることは、決して「非科学的なこと」でもなければ、「偏ったこ と」でもない。

訳者があとがきに書いているように、「「疑わしきは罰せず」(毒性や病気との因果関係が科学的に立証できないうちは使う)ではなく、こと命や健康に関しては 「疑わしきは罰す」(少しでも有害だという疑いがあるうちは使わない)が当然であり、それをしてこなかったばかりに、今の惨状に至ったということではない だろうか。」(p.301)

「今日、安全だと言われているものが、実は喘息、自閉症、先天異常、クラスター疾患、癌などの病気の原因であることが明日にもわかるかもしれない。汚染物質へ の暴露は生まれる前から始まる。暴露は蓄積していくものであり、制御できないものであり、複合的である。しかも、暴露の期間と程度によって、ほかの化学物 質にどれだけ暴露しているかによって、個人の遺伝的素因によって、個人の大きく左右されるため、たいていは正確に追跡することができない。

あ る特定の化学物質が、原因不明の病気や病気の集中発生の原因もしくは誘引になっていると証明できないからといって、その可能性を排除できるわけではない。 この種類なら安全です。この量なら安全です、そう言い張る企業や組織は、今わかっている範囲では、たぶんほんとうのことを言っているのだろう。しかし、そ の安全だという化学物質が、ほかの化学物質と結合した場合、病気の原因にならないともかぎらない。

わたしたちは、すぐに死ぬことはないが、有害なものをせっせと摂取して生きている。今、わたしたちがすべきことは、どんな犠牲を払ってでも、金儲け最優先の化学会社や政治家の安請け合いを無視することだ。」(p.297)