官庁と銀行だけの石造りの威圧的な街だった丸の内が、楽しむために集う場所に変わっていました。

2005年の初めに行ったときは、まだ新しくなった丸ビルにザ・コンランショップがあるくらいで、石造りの建物はかっこいいけど閑散としていて、知る人だけがお買い物にくるような「穴場」的なショッピング街でした。案内してくれた友人も、「今は丸の内がいいよ、高級感があって、人少なくて落ち着いていて」とお勧めしてくれたものでした。

8年間って、街が生まれるのに十分な時間なのですね。
三菱地所が丸の内再開発の旗をふったらしく、古いビルが建て替わったり、改築したりで、新しい商業地が生まれていました。
休日も東京駅からの人の流れがあって、お手軽な値段から高級店までレストランも多く、わざわざお出かけに来るところになっているのが分かりました。
平日は駅から吐き出される人ごみがオフィスビルに飲み込まれ、夜間や休日に人の気配がまったくないオフィス街でしかなかったころよりも、人間らしさが感じられました。

私は友人たちとiiyo!!(丸の内永楽ビルディングのショッピング・モール)にあるDaichi & keatsでランチを楽しみました。
こちらは、大地を守る会と祐天寺で雑穀販売カフェをやっているkeatsとのコラボでできた農園カフェ&バル。
元気な野菜をふんだんに使った多国籍料理が楽しめます。
iiyo!!の飲食街は「安全・安心」、「地産地消」、「地域の伝統・食文化」をテーマにしているそうで、他にもLAにもあるかまど飯の寅福や鳥取の境港から魚介を直送している「山陰海鮮炉端かば丸の内店」など、美味しそうなお店が並んでいます。

まだオーガニックという言葉が日本語になかったころから、無農薬有機農法の野菜を、生産者と消費者が互いの顔の見える関係で売買してきた大地を守る会。70年代の半ば、公害企業が正義で健康を願う生産者や市民がマイノリティだったころを思うと、その日本国株式会社のヘッドクオーターである丸の内に、大地を守る会のおしゃれなレストランがあるということに感慨を覚えます。

私を喜ばすために、このお店を選んでくれた友人に感謝です。
彼女たちは、私が長年、食べ物の大切さを語り続け、食を守るために原発に反対してきたことを知っているから、ここをお勧めしてくれたのです。

私が、食べ物が心と体を作ることに気づいたのは、チエルノブイリ事故がきっかけでした。放射能に汚染された土地で汚染された食品を食べるしかない生活を強いられた人々から学んだのは、本物の食べ物で生きることの幸福でした。無農薬、有機、微生物農法、自然農法、天然酵母、湧き水、伝統的な製法、平飼い、低温殺菌などなど、多くの生産者がそれぞれの現場で本物を作っていました。食べることに興味のなかった私が、産直の野菜を買い、台所に立つようになりました。1987年のことです。

以来、私は、本物の食べ物を分け合える生活を営むコミュニティを理想としてきました。
大地を守る会を創設した藤田和芳さん、故・藤本敏夫さんの歩みは、その理想を一歩一歩進むものだと尊敬しています。
30年以上かかって、本物の食べ物を分け合うコミュニティに参加する人が増えてきました。
もっと参加者が増えて、私たちの数のほうが多くなったら、エネルギーの無駄使いや農薬の使用や非人間的な働き方も変わってくるという希望がありました。

ところが、福島で原発が爆発してしまった。

2011年3月、日本の大地も食べ物も放射能で汚染されてしまった。

私は「間に合わなかった!」という悔しさでいっぱいになりました。

私よりももっと真剣に安全な食べ物のために働いてきた人々は、もっと大きなショックを受けて、真剣に考え、今も悩んでいらっしゃると思います。
大地を守る会の放射能に関するスタンスはこちらです。
政府基準よりも厳しいけれど、私は10ベクレル/キログラムという測定下限値は高いと思いますし、検出限界値未満を放射能不検出と表記するのにも反対です。
けれども、大地を守る会が、これまで築いてきた生産者との関係を切って、彼らの生活を壊すことを望んでいるわけでもありません。

「無農薬有機栽培だけど放射能で汚染されている食べ物を分け合うことは正しいのだろうか」
原発事故以来、ずーっとこの問いを抱えていますが、私は答えられずに立ち往生しています。