原発が爆発してから、参院選、都知事選、衆院選、都知事選と、選挙があって、そのたびに脱原発候補が負けてきた。

私たちが、一番やらなければいけないことは、「投票しない人」を「投票する人」に変えることではなかろうか。

私は「投票する人」は、幸福な人たちだと思う。
自民党、共産党、創価学会、組合、脱原発グループ、ネトウヨなど、どこかに所属していて、そこに人間関係があって、自分の生活と投票が結びついている実感があるんだから。
「投票する人」たちが、それぞれ意見を主張しあったり、組織のしがらみで投票することを批判したり、戦略を議論したりするのは、すごく健全で民主的だと思う。

仕事や生活の場がある市民が、選挙に参加できて、自分が選んだ人に投票する自由がある。私のひいじいさんが生きていたころには、夢でしかなかった社会だ。明治に生きたひいじいさんは、財産なんかない普通の人だったから選挙権がなかった。

でも、東京都の約1000万人の有権者のうち、「投票する人」が半分もいない。
東京には市民が500万人しかいない。

「投票しない人」には、「投票できない人」「投票したくない人」「投票しない人」がいる。

なんらかの事情で「投票できない人」が投票できるようにするには、市民が働きかけ政治が改善するべきだ。
「投票したくない人」には、投票したくない理由を明確に主張し、市民の議論に参加してもらいたい。

それ以外の「なんとなく投票しない人」が、何百万人もいるってこと自体が、東京の抱える最大の問題だと思う。いや、東京だけでなく、日本の課題だろう。

投票に行けと促されるほどの人間関係がない。生活が政治に左右されるという肌感覚を持てるほどの、生活の実態がない。目の前に積み上げられた仕事をこなすのに精一杯で、考える能力も気力も残っていない。日常に満足感はないけれど、焦燥感もない。毎日なんとなく不満や不安があるけど、それを言葉で表現できるスキルがない。誰かや何かに深入りすることもなく、所属していると実感できるコミュニティをもっていない。

私が想像する「投票しない人」は、こんな感じなんだ。
家入さんが「場を作りたい」て言って立候補したのを聞いて、彼は「投票しない人」に呼びかけているのだろうなと私は想像したんだ。

選挙期間中は、「投票する人」同士の議論に終始するけど、選挙が終わったら、「投票しない人」のことを真剣に考えたいね。
原発が爆発するまで「投票しない人」だった人にこそ、自分はどう変わったのか、なぜ変わったのか、語ってもらいたい。

本当に脱原発社会を実現させたいなら、「投票しない人」が「投票する人」に変身できる「場」を作ることから始めないといけないんだと思う。

「なんで投票しないのよ」と責めたり、「選挙にいかないと徴兵される世の中になるぞ」と脅したり、「投票しない奴は馬鹿だ」とさげすんだり、「投票すればいい世の中になるから」と釣ったりするような言葉は、「投票しない人」の心には届かない。

「投票する人」たちが、「投票しない人」に届く言葉を使う。

その簡単なようでいて難しいことの積み重ねが、運動だと思う。
自分と違う意見を持っている「投票する人」の意見を変えることにエネルギーを使うより、「投票する人」を増やすことに一生懸命なほうが楽しいし、運動の裾野が広がっていく。

まずはそこから始めようよ。


(昨日Face Bookに投稿したこの文章は、これまでの私の投稿のなかで一番多くのいいね!をもらい、一番多くシェアされた。知らない人からも多くのコメントをいただいた。)