我門的島 私たちの島

3月18日、「台中サービス貿易協定」の撤回を要求する学生が立法院にたてこもって始まった「太陽花学運」(ひまわり学生運動)。
この画像は、30日に行われた「反サービス貿易協定」デモの様子です。50万人が参加したそうです。
「太陽花学運」については、フリージャーナリストの福島香織さんの記事が詳しい。

この映像を見て、私は私が出会った台湾人の友人たちを思い出し、台湾のこと、台湾だけのことではないことに思いを馳せました。
以下Face Bookに投稿したものです。

私が学生だった1980年代、台湾はまだ戒厳令下で、新宿駅頭などで旗を高く掲げながら国民党の一党独裁への抗議をしている僧侶をよく見かけた。

91年にアメリカにきてから何人かの台湾人と親しくなった。
20代後半から30代前半の私と同世代の留学生たちの中で、ある男子は徴兵経験があって諦観に似た笑顔が人間的魅力を語っていた。

仲良くなった女性は代々台湾に住んでいる本省人で、夫の両親が戦後に大陸から国民党と一緒に移って来たため、今でも大陸の家族に仕送りをしている。経済的に豊かでないのに、大陸の家族優先なのが不満だと言っていた。
まだ中国の経済力が強くなる前だったから、台湾のほうから電化製品など豊かさを実感できる物資を送っていた。

客家系の台湾人の友人は高校のころからヨーロッパに留学していた。台湾に戻って高い地位についたが、国民党の政治に批判的で将来を見越してアメリカに移住していた。才能や学力を頼りに高校生のころから海外留学を目指す若者の多くに、政治への失望があることが分かった。

彼女の親の世代は、日本統治時代に日本語教育を受け、日本名を名乗っていたから、彼女も片言の日本語を理解する。中産階級の年配の台湾人は、日本時代のほうが国民党時代よりも良かったと回顧する人が多く、阪神・東日本両震災のときの台湾からの支援の中心となってくれた。

国民党による一党独裁が終わって、複数政党制と大統領制の民主共和制に変わったのが96年。あのころ10歳だった子供たちが28歳。96年に生まれた子は18歳。私の友人たちの子供の世代だ。

今、台湾の立法院(国会)の占拠を続けいてる学生たちは、民主主義時代を生きてきた。だから、黒箱で物事を決めるやり方が生理的に理解できない。
物質的にも恵まれて育ってきたから、台湾の経済力を当然だと思っている。

中国との貿易協定を締結した馬英九総統は、64歳。生まれてすぐに両親と大陸から台湾に来た。大陸との縁が強い世代。アメリカで教育を受け、経済発展を引っ張るエリートだ。

経済的に豊かな民主主義の国で育った若者と、貧困を政治家の強いリーダーシップで克服しアジア的な家父長制を美徳とする大老。間に挟まれる私たち働き盛り世代は、民主主義の尊さも知りながら、物質も競争も少なかった時代ののんびりさも捨てがたい。
この三つ巴の構図は、世界中で起こっている。

台湾の人々は「私たちの島」と呼んでいるんだよね。私たちの国ではなく。

自分が好きで、自分の家族が好きで、自分のコミュニティが好きで、自分が育った土地が好き。そういう郷土愛が、グローバル化という暴力的な経済活動に対抗しようとしているのも、世界中で起こっている。

でも、郷土愛は排外主義や全体主義に簡単に転ぶ可能性も高い。郷土愛に基づく怒りが国際資本へではなく、隣国や外国人に向けられ、民族主義やヘイトクライムに使われていることも、世界中で起こっている。

それぞれの故郷を愛する気持ちを尊重しあい平和をめざすのか、自分たちの故郷を愛する気持ちで他国を攻めるのか、どっちにも転ぶ可能性がある。
その違いは、怖いという気持ちに負けるか、それを克服できるかにあるんだよ。