双子の巫女は、東と西に行き、それぞれ東の巫女、西の巫女と呼ばれた。ふたりの未来を見る力はまったく同じだった。

「善い巫女になりたい」その志も同じだった。

若いころの東の巫女は「善い予言をして人々を幸福に導きたいの」と言い、西の巫女は「善い予言をして人々を不運から守りたいの」と言っていた。

ふたりとも、稲の不作を予兆した。
東の巫女はこう言った。
「来年の夏 稲は不作になるでしょう。 今年のうちに 貯えを残して おきなさい。」
西の巫女はこう言った。
「来年の夏 稲に病害虫がつくでしょう。 西の田畑でとれた作物はすべて 焼き捨ててしまいなさい。」

ふたりとも息子が父を殺す未来を見た。
東の巫女はこう言った。
「息子さんを五歳になったら 隣国へ養子にだしなさい。」
西の巫女はこう言った。
「息子さんは二十歳になったら あなたを殺すでしょう。」

ふたりとも敗戦と敵国による三年間の占領を予想した。
東の巫女はこう言った。
「山の中に穴を掘って 貯えを隠しなさい。 三年経ったら もどってきなさい。」
西の巫女はこう言った。
「隣国は裏切って攻めてくるでしょう。 貯えはすべて奪われ 三年の間 支配されるでしょう。」

どちらかが間違っていたわけではない。
同じ未来を、違う言い方で伝えていただけだ。



今市子の『岸辺の唄』(2002年)から始まったシリーズの6冊目『影法師たちの島』(2012年)を、ようやく入手した。
同作品に収録されている「星の落ちた場所」では、『岸辺の唄』に収録されたシリーズ2作目の「予言」で描かれた西の巫女と東の巫女の因縁をふたたび取り上げている。

このシリーズの世界観が確立され、実質的な第1作となった「予言」では、西の巫女が東の巫女に討伐される。
なぜなら、西の巫女の国では、巫女の予言は絶対だと信じられ、血で血を洗う歴史が繰り返されてきたからだ。



西の巫女は、まず、先代の王ルーセンに、「甥に殺されるだろう」と告げたので、ルーセンは姉と弟の子を殺したが、甥のウカジュは生き残り、ルーセンから王位を奪った。

西の巫女は、叔父のルーセン王を殺して王位についたウカジュ王に、こう言った。
「ウカジュ王よ これより十五年の間 そなたはよく この国を治めるであろう。」
ウカジュは問う。「たった十五年か その先はどうなる?」
西の巫女は答える。「そなたの命は尽きる」

そして、こう予言した。
「左手に剣を持った若者が そなたを倒すだろう。」
「そしてルーセン王の王子が王位を 奪い返すだろう。」

ウカジュは西の巫女の頭を切り落とし、ルーセン王の息子たちを処刑し、身ごもっている側室たちをすべて捕まえ、一年以内に生まれた男子も殺し、ルーセン王の娘たち全員と結婚した。
そして、領内の左利きの男子の左手首を切り落とした。そのために死んだ子どももあった。

ウカジュの十五年間の治世は、恐怖に駆られ、保身のための殺戮とルーセン王の残した8人の皇女と結婚したことだけだった。
「誰だって自分の寿命を知らされたら 恐ろしいに決まっている。 あの人は弱い人なんだ」と、女と偽って生き残ったルーセンの遺児は言う。

東の巫女は人々に善い予言をもたらし、導いてきた。
それでも、この世の争いが終わらない。
東の巫女は、エンとジンファの二人に、西の巫女を殺すように頼んだ。

暗殺者は西の巫女を討ち取った理由を、こう説明した。
「西の巫女はどこかで道を踏みまちがえた。
神通力があろうとも 悪しき未来のみを伝えるのはもはや 予言ではない 呪いだ。
己の死に方を知りたい者など いない。
彼女の予言に惑わされて みな 人生を狂わせていった。
それを楽しむようになって彼女は 巫女ではなく魔物へと変質していったんだ。」



「予言」では、予言が言い方によっては呪いにもなることを描いていたが、「星の落ちた場所」では、同じ未来を語る言葉が希望にも呪いにもなりえることを、もっと鮮明に分からせてくれる。

例えば、冒頭で紹介したように、稲が不作になるという未来をふたりが同時に見たとき、ふたりは全く違うことを言った。
東の巫女の導きで今年の貯えを残しておいた人々は飢えずに済む。予言が当たったかどうかより、飢えずに済んだ幸福が、東の巫女への信頼となる。
西の巫女の助言に従って畑を焼いた人々は、翌年のための食べ物を残さないから飢える。そして、予言どおりに飢えたから巫女の予言を信じるようになるが、同時に西の巫女を恐れるようになる。西の巫女は人々から愛されない。

稲が不作になるという未来は変えられないが、巫女の助言によって飢えという不幸からは逃れられる。
未来は変えられないが、運命は変えられるのだ。


ジンファに討ち取られた西の巫女は、「星の落ちた場所」では、死の間際にある東の巫女の枕元に現れ、東の巫女の体を乗っ取ろうと、エンとジンファを騙す。

西の巫女の無念は、なぜ同じ予言をしてきた自分が悪鬼と呼ばれ成敗されたのかという恨みだ。
東の巫女は言う。「どちらかがまちがっていたわけではないけど わずかなちがいは 三百年で大きくふたりを隔ててしまった。」

西の巫女は、東の巫女を地獄へと誘いながら、言う。
「だけど 世の中に善い人間と悪い人間がいるわけじゃない。
ひとりの人間のなかに善い部分と悪い部分があるんだ。
私たちはもともと同じ… だから死ねば同じところへいくんだよ」と。

西の巫女は霊体になってこの世に留まり、肉体を復活させようと試みる。

西の巫女に乗っ取られた東の巫女の肉体に騙されそうになったジンファだが、巫女が「私は三日のうちに蘇って 再び翠湖を統治しよう」と言うのを聞いて、偽者だと気がつく。
東の巫女は決して「統治なんて言葉 使わなかった」からだ。

東の巫女は、人々の信頼を得て愛されてきたから、導く人ではあっても、統治する人ではなかった。
西の巫女と人々との間には信頼も愛情もなく、西の巫女は恐怖で支配することで人々との結びつきを得ていた。
だから、西の巫女の口からは「統治する」という言葉が自然に出てきたのだ。

東の巫女と西の巫女が同じものから生まれたのなら、なぜふたりは違ったものになってしまったのだろうか?
それは、運命を変える知恵を持っていたか、いなかったかの違いだと、私は思う。
知恵を授けることができるように、学ばなければならない。努力が必要だ。

知恵を学ばずに、悪い未来をそのままに伝え、運命として受け入れろと脅すのは、簡単だ。
しかも、人の心を恐怖によって支配するという快楽も伴う。
西の巫女は、予言という名の呪いで権力を得る楽な方向に流れていき、最後は化け物になってしまったのだ。



実は私は、この西の巫女と東の巫女の対比を読みながら、核事故の影響を訴える人々の訴え方に関連付けて考えていた。
畸形児の写真を見せながら、子ども逃がさない親は人に非ずと、追い詰めていく論者は、西の巫女なのではないだろうか?
恐れられるが、愛されず、権力を志向するようになってしまう。
東の巫女なら、できる限りの被曝回避の方法を伝え、避難訓練を実施し、データを重ねて疎開や移住を促すだろう。
呪いより知恵を。