バレンタインだったので、デザートにチョコムースを作りました。

バレンタイン・デーなので、連れ合いと二人で週末を楽しみました。
家の近所を散歩し、コミュニティセンターで行われていたレドモンド歴史協会の講演会「エディ・バウアーの歴史」を聞きに行き、MOXでランチを食べながら「街コロ」で遊びました。
娘が生まれる前は、週末はこうやって二人きりで過ごしたなあと思い出しました。
あと数年もすれば、また二人だけの週末になるのでしょう。
連れ合いと二人で過ごす時間も良いけれど、今、しばらくは娘と3人で思い出に残る時間を過ごしていたいなあと、最近、しみじみ思います。

娘が日本語学校から帰ってきてから、一緒にチョコレート・ムースを作りました。
彼女のリクエストで、ピスタチオ入りです。
豆腐を使っているので、食感はリッチな感じでありながら、食べてもお腹にもたれません。

うちは子供を作ったのが遅かったので、今年ようやく中学生になりますが、友人の子どもたちは進学で家を離れて行きました。
子離れを始めた先輩ママさんの様子を見ていると、うちももう秒読みなんだなと感じます。
一緒に台所に立つ時間を大切にしていきたいなと思います。

2月のお料理クラスのテーマは雑穀です。

タカキビ、ミレット、そば、アマランサスと、ここでも簡単に手に入る雑穀を使いました。

ミレット、そば、アマランサスは、ホールフーズのバルク・コーナーで必要な少量を、タカキビは宇和島屋さんで、中国産オーガニックの袋入りを買いました。

ミレット(Millet)という名前で市販されているのは、proso milletと呼ばれる種類で、日本のキビに当たります。日本のキビほどモチモチしていないので、炊く前に炒ったり、茹でたりした方が柔らかく食べやすくなります。
そば(buckwheat)は、炒ってある色の濃い方ではなく、生の色が薄い方を使います。炒ってあるソバの実は、東欧系の人がお粥に使うようです。
アマランサス(amaranth)は、ビタミンやミネラルが豊富なのでインカのスーパーフードとしてポピュラーになっています。
タカキビ(sorghum)は、食感にボリュームがあるのでビーガン料理ではお肉の代わりによく使われます。皮つきのものは水につけておく必要がありますが、精米されている白いものは茹でるだけで柔らかくなります。

今回は、この雑穀を野菜と一緒に炊いて、ロールキャベツの具にしました。
一見、おかずだけど、実は主食という一品です。

雑穀はグルテンを含まないものが多いので、グルテンフリーの食事を必要としている消費者が増えてから、入手しやすくなりました。
粒粒だけでなく、粉にひいたものも市販されています。

手作り味噌を開けました。


11月に見た時はまだかなり粒粒が残っていたのですが、だいぶ減っていたので、とりあえずビンに移すことにしました。
溜まりは期待したほどなかったのですが、焼き餅を浸していただきました。

至福。

なにせ、味噌を開けたら溜まりで食べようと思って、わざわざお餅を作っておいたのですから。

いえ、餅より味噌が大事。


ところどころ大豆や米麹がそのままの形で残っています。
場所によっては滑らかですが、味はもう少しこなれてほしいところ。
塩辛くはないし、甘みもあるけど、「おおっ!」と感動するほど熟成していません。

今年は、小麦粉を保存する用のセラミックの壺で仕込んでみました。
たしか、Tuesday Morningで買ったものだと思います。
去年はBoston Baked Beansの壺、2つになってしまい場所を取ったので、1つの壺で済ませました。
この壺の性格で熟成に時間がかかったのか、容量が多いから時間がかかったのか分かりません。

半分をビンに小分けし、残りはBoston Baked Beansの壺に入れて、再び重石をして、もう少し熟成させてみることにしました。

ビン詰のほうは、今日から少しずつ使っていきます。
夕飯のお味噌汁の具は何にしようかな。

「アロマヨガ&ワシントン州産オーガニック和定食」というイベントに参加しました。

21Acresに女性ばかり40名ほど集まって、ヨガをして美味しいご飯を食べて、週末をのんびり過ごす。
今回で4回目のイベントは、ジャングルシティさんとアロマティカさん、そして21Acresのシェフ麻子さんの3名の素敵な日本人女性のコラボ企画です。
前々回に初めて参加したときは、知っている人が一人もいなかったのですが、今回は話聞やマクロビクラブの活動でつながった方々も参加されていて、知った顔を見つけることができました。
去年1年間で、やっとノース・ウエストでも友人ができたことが確認できてうれしかったです。

前半は、ヒノキ、ゼラニウム、オレンジ・スイート、ローズウッドの製油の香に包まれながら、ジェントル・ヨガをしてリラックス。
1階の床はコンクリ打ちっぱなしなのに、汗ばむくらいでびっくりしたら、なんと床下温水暖房が入っているそうです。
(うちの地階にも欲しい…)

後半は、2階のキッチンで麻子さんが用意してくれた、醗酵ランチ。
21Acresの食事は、すべてワシントン州産。栽培できるものが限られるノースウエストでそれを達成する努力と工夫はすごいです。
メニューは、醗酵玄米、根菜の味噌汁、塩麹漬けチキン・ロースト、キムチと納豆の春巻き、カレーポテト入りドーサ、青菜のサラダ・りんごドレッシング、ザワークラウトのボルシチ、豆腐の味噌漬け、生チーズケーキ。
お腹いっぱいになりました。

お母さんや妻である女性には、こういう週末を過ごせることは、超超贅沢。
企画してくれた3人に感謝です。
ありがとう。

2月にむけてブラウニーを試作中。

前回はバニラ・エクストラクトを入れたのだけど、つまらない味になったので、今日はオレンジ味にしてみました。
オレンジの皮をおろして、オレンジ果汁を絞って、オレンジ・フレーバーも入れました。
こっちの方が好きだな。

オレンジとチョコレート味って、とても合う。

秘密の材料が入っているので、ビーガンだけど食べ応えがあります。

チョコチップが1カップ分なかったけど、これはこれで良い感じ。

それにしても、ホリデーシーズンの安売りのときに買い貯めておいた、Grain Sweetend Chocolate Chipsがもう一つも残っていないのには、びっくりだ。
まだ1月なのに。
いったい、いつ、そんなに食べたんだろう?

ちょっと気をつけないと、いけませんね。

今日は大寒。一年で一番寒い日のこと。

もっとも今年のワシントン州は暖冬のようです。
1月第1週に始まるはずだった放課後スキー教室が、毎週、延期されています。
スキー場に雪が降っても、温かい雨と晴天で溶けてしまうようで、未だにスキー場がフルオープンしていません。

大寒(だいかん)は、二十四節気の第24。春分から数えて、最後の最後です。
暦の上では、今日から立春までが冬本番となります。

冬至を過ぎてから、だんだんと日が長くなってきましたね。
正月休み明けはつらかった早起きも、最近は少し楽になってきました。
体が慣れたせいもあるのでしょうが、7時前でも空が明るくなってきたので、やる気が沸いてくる感じがします。

面白いなと思うのは、お日様からの光が一番少ない冬至から、少し経ってから一番寒くなるということ。
冬至のころはまだ、お日様の温かみが地面に残っていて、それが消えるころに寒さの極みに達するんですね。
大きな物事ほど影響はすぐには表れないということでしょうか。

大寒から立春に向けて、どんどん寒くなり続けます。
寒さの極みを立春と呼ぶのは、この一番寒い日を過ぎれば、あとは温かくなるだけだよ、この一番寒い日が春へ向かう起点だよ、と教えてくれているんですね。

冬は、春の前には必要な季節。
水面下で春の準備が始まっている季節。

そう考えると、世相の暗さも、人生の苦労も、ここから先はよくなるばかりと思えてきます。
受験生の皆さん、春はもうすぐそこまできていますよ。

元旦の鯛の姿焼きの残り物で、鯛茶漬け。

本当は鯛めしにしようと思っていたのですが、娘のリクエストでお茶漬けに。
だし汁を張って、お茶漬け用のあられと三つ葉をちらしています。
このお茶漬け用のあられが食べたくてのリクエスト。

夏に大宰府のふくやで朝ごはんに食べためんたいこ茶漬けが美味しかったので、家でもお茶漬けを作ったのですが、何かが違うと言うのです。
あられが入っていないのがいけないのだーと言うので、日本のおばあちゃんからわざわざあられを送ってもらいました。
半年近く、大事に大事にとっておいたあられをふんだんに使ったお茶漬けに満足したようです。

夏に食べたふくやの明太子と言えば、思い出すことがあります。
店内に、「創業当時の味を再現したオリジナル」と書かれている商品がありました。
ちょうど店内では、ふくやの創業者・川原俊夫さんを主人公にしたテレビドラマが上映されていました。
釜山で生まれ育った川原さんが、戦後、朝鮮半島から引き上げてきて、故郷・釜山で食べたスケソウタラの唐辛子漬けを再現し、商売で成功するという物語です。日本人の口に合うように、苦労したということでした。

私は、「オリジナルならアミノ酸や発色剤が入っていないだろう」と思って手にとったのですが、しっかり入っていたので、残念に思いました。
田舎のおばさんにたくあん漬けの作り方を聞いたら、農協で売っているたくあん漬けの素を入れるのだと言われたときと同じ違和感を感じました。

都会育ちの私は、田舎の人は「伝統的な製法」で漬物や発酵食品を作っているとばかり思っていました。
確かにおばさんが、この50年間、作り続けてきた方法ですから、「昔からのやりかた」であることは間違いないです。
でも、明太子もたくあん漬けも、50年しか経っていない比較的新しい食べ物。
それも、戦後の発展の象徴である「科学の力」を利用して作るものだったのですね。

そしておそらく、1950年代の日本人にとって、明太子の鮮やかな赤い色や、たくあんの黄色が「美味しく」見えたのでしょう。
保存料のおかげで商品を全国に流通できたことは、敗戦で植民地から引き上げてきて、一から出直した川原さんが成功した要因のひとつだったのでしょう。
ふくやだけでなく、小さな商店から成功した多くの食品業者にとって、「科学の力」は成功の鍵だったのですね。

ああそうか、50年も経ってしまうと、当時の人の心のうちなど、忘れられてしまうものなんだなあ、と思います。
そして、50年後の私は、赤い明太子や黄色いたくあんではなく、科学の味のしない素朴なものが食べたいと思っているのです。

ふくやでは、無添加明太子も売っていました。
私と同じように、そう考える人も増えてきたから、無添加明太子も商品のラインナップに加えられているのでしょう。

今年は、第二次世界大戦が終わってから70年になります。
戦前、戦時中、戦後の貧しさと暴力と飢えの時代を生きた人々にとっては、「科学の力」で作られた人工的な食べ物が豊かさだったことは理解しますが、いつまでも彼ら彼女らの考える「豊かさ」に引きづられる必要はありません。
私たちは、「科学の力」に頼る時代を飛び越えた伝統技術を、21世紀の知識で復活させることができるのではないでしょうか。